お店の二代目・三代目 その7 小川眼鏡店
小川眼鏡店 (中杉通り新東京会館lF)
二代目:小川勝久さん
三代目:小川貴司さん
2015年08月01日(土)
小川眼鏡店の創業は1933年(昭和8年)。阿佐ヶ谷駅の北口、井伏鱒二・太宰治・青柳瑞穂などの文豪がたまり場にした中華料理店「ピノチオ」の隣に小川眼鏡店はありました。ところが、終戦間近な頃のこと、空襲による類焼防止の防火線を作るためにと、突然の軍の命令で北から南へと戦車が一直線、付近は一夜にして広い更地となりました。(後に、この防火線は中杉通りとなりました。)強制疎開を命じられた多くの人々は、現在のパールセンター付近に移転させられました。小川眼鏡店も例外ではありませんでした。現在は中杉通り(新東京会館1階)に店舗を構えています。
小川眼鏡店の先代は眼鏡界のリーダー的存在。眼鏡屋は眼科医の下請け業ではなく、国家資格が必要な職種だと、幾度も厚生省(現厚生労働省)に陳情するも受け入れられなかったため、大変な苦労の末、メガネ専門校(3年制)を設立しました。全国に現存する6校の専門学校の前身です。
二代目・勝久さんは、45歳で店を受け継ぎました。先代が80歳の時です。丁度、小泉政権下の規制緩和時代。安売リメガネ屋が乱立する激しい競争の中を、創業以来の「お客様を大切に」の精神で乗り切ってきました。パールセンター商店街の元理事である勝久さん、現在(取材当時)はマイタウン阿佐谷協議会の会長で、阿佐谷の街の行く末までも熱く語ります。優しく丁寧な接客は、訪れた人の心をホッと温めるようです。
三代目貴司さんは次期経営者の見習い中。趣味のカメラや映像関係にも意欲があり、いつになれば「お眼鏡に叶うのか?」と二代目がハラハラすることも。二代目も三代目も、もちろんメガネ専門校の卒業生です。
(平成25年5月1日発行の第257号に掲載)
二代目:小川勝久さん
三代目:小川貴司さん
2015年08月01日(土)
小川眼鏡店の創業は1933年(昭和8年)。阿佐ヶ谷駅の北口、井伏鱒二・太宰治・青柳瑞穂などの文豪がたまり場にした中華料理店「ピノチオ」の隣に小川眼鏡店はありました。ところが、終戦間近な頃のこと、空襲による類焼防止の防火線を作るためにと、突然の軍の命令で北から南へと戦車が一直線、付近は一夜にして広い更地となりました。(後に、この防火線は中杉通りとなりました。)強制疎開を命じられた多くの人々は、現在のパールセンター付近に移転させられました。小川眼鏡店も例外ではありませんでした。現在は中杉通り(新東京会館1階)に店舗を構えています。
小川眼鏡店の先代は眼鏡界のリーダー的存在。眼鏡屋は眼科医の下請け業ではなく、国家資格が必要な職種だと、幾度も厚生省(現厚生労働省)に陳情するも受け入れられなかったため、大変な苦労の末、メガネ専門校(3年制)を設立しました。全国に現存する6校の専門学校の前身です。
二代目・勝久さんは、45歳で店を受け継ぎました。先代が80歳の時です。丁度、小泉政権下の規制緩和時代。安売リメガネ屋が乱立する激しい競争の中を、創業以来の「お客様を大切に」の精神で乗り切ってきました。パールセンター商店街の元理事である勝久さん、現在(取材当時)はマイタウン阿佐谷協議会の会長で、阿佐谷の街の行く末までも熱く語ります。優しく丁寧な接客は、訪れた人の心をホッと温めるようです。
三代目貴司さんは次期経営者の見習い中。趣味のカメラや映像関係にも意欲があり、いつになれば「お眼鏡に叶うのか?」と二代目がハラハラすることも。二代目も三代目も、もちろんメガネ専門校の卒業生です。
(平成25年5月1日発行の第257号に掲載)