お店の二代目・三代目 その13 「街のコンシェルジュ」
カナモノワタナベ (阿佐谷商和会)
三代目夫人 渡辺純子さん
四代目 渡辺治さん
2015年08月01日(土)
阿佐ヶ谷駅北口のアーケード、旧中杉通り突き当りに「カナモノワタナベ」があります。創業は明治43年、四代目の曾祖父・庄二郎さん、曾祖母・まささん夫妻が「瀬戸もの屋」を開業したのが始まりで、今年(取材当時)で104年、阿佐谷では老舗のお店です。
昭和22年に刊行された太宰治の作品「斜陽」の中に《阿佐ヶ谷駅の北口をまっすぐいらして、そうですね。一丁半かな?金物屋さんがありますからね、・・・》とあります。阿佐谷の文士たちのたまり場「ピノチオ」はお店のすぐそばでしたから、太宰もお店の前を歩いていたのでしよう。
四代目・治さんは30歳の時、家業を継ぐため6年半勤めた会社を退職、父・喬さんの下で商売のイロハを学びました。6年前に喬さんが亡くなり、以来、母の純子さん、叔母の淳子さんとともにお店を守ってきています。治さんが目指すのは「街のコンシェルジュ」。「アレはない?」と尋ねてくるお客様のご希望に精一杯お応えする。「決してNOと言わない」、なければ代わりの商品を探す、取り寄せ可能なら一つでも取り寄せる、売っているお店を紹介する。「全力お応え宣言」をモットーにしているとのこと。また区内なら値段によらず、たわし―個でも無料で配達しているそうです。大型店とは一味も二味も違う、高齢者にも喜んで貰える、きめ細かなサービスをしています。
また治さんは【わっと!カナモノ通信】を二か月毎に発行しています。お店のPRが目的でなく、わが街阿佐谷の魅力を紹介、3000部をお客様に発送しているそうです。『毎号楽しみに読ませて頂いています』と返信が来ると「がんばろう!」の気持ちになると語っていました。
いつまでも続けて頂きたい「街のコンシェルジュ」ひとつだけ心配が・・・、治さんは未だに独身です。気立てのよいお嫁さんを見つけて五代目に引き継いでくれることを期待しています。
(平成26年5月1日発行の第263号に掲載)
三代目夫人 渡辺純子さん
四代目 渡辺治さん
2015年08月01日(土)
阿佐ヶ谷駅北口のアーケード、旧中杉通り突き当りに「カナモノワタナベ」があります。創業は明治43年、四代目の曾祖父・庄二郎さん、曾祖母・まささん夫妻が「瀬戸もの屋」を開業したのが始まりで、今年(取材当時)で104年、阿佐谷では老舗のお店です。
昭和22年に刊行された太宰治の作品「斜陽」の中に《阿佐ヶ谷駅の北口をまっすぐいらして、そうですね。一丁半かな?金物屋さんがありますからね、・・・》とあります。阿佐谷の文士たちのたまり場「ピノチオ」はお店のすぐそばでしたから、太宰もお店の前を歩いていたのでしよう。
四代目・治さんは30歳の時、家業を継ぐため6年半勤めた会社を退職、父・喬さんの下で商売のイロハを学びました。6年前に喬さんが亡くなり、以来、母の純子さん、叔母の淳子さんとともにお店を守ってきています。治さんが目指すのは「街のコンシェルジュ」。「アレはない?」と尋ねてくるお客様のご希望に精一杯お応えする。「決してNOと言わない」、なければ代わりの商品を探す、取り寄せ可能なら一つでも取り寄せる、売っているお店を紹介する。「全力お応え宣言」をモットーにしているとのこと。また区内なら値段によらず、たわし―個でも無料で配達しているそうです。大型店とは一味も二味も違う、高齢者にも喜んで貰える、きめ細かなサービスをしています。
また治さんは【わっと!カナモノ通信】を二か月毎に発行しています。お店のPRが目的でなく、わが街阿佐谷の魅力を紹介、3000部をお客様に発送しているそうです。『毎号楽しみに読ませて頂いています』と返信が来ると「がんばろう!」の気持ちになると語っていました。
いつまでも続けて頂きたい「街のコンシェルジュ」ひとつだけ心配が・・・、治さんは未だに独身です。気立てのよいお嫁さんを見つけて五代目に引き継いでくれることを期待しています。
(平成26年5月1日発行の第263号に掲載)